ギネスブックにも認定された世界的に有名な少女漫画「フルーツバスケット」は、主人公の透と、十二支にとりつかれた特異体質の草摩一族のお話です。
この漫画は、人の弱さや歪みを深く描き、それを優しさと強さで包み込むような希望のあるお話です。
それと同時に人が成長し変わっていくことの喜びと寂しさが描かれています。
私がこのお話の中で最もお気に入りのキャラクターは、草摩家の当主であり、十二支にとって「神様」でもある敵役の慊人です。
最初に登場した場面では、「向かうところ敵なし」といった感じで出てくるこのキャラクター。
実は誰よりも弱く、臆病な子供でした。
慊人は幼い頃から、両親の歪んだ感情に振り回され、大人たちの思惑で、狭い世界に閉じ込められます。
自分の性すら偽らざるを得なく、その立場から誰からも対等に接してもらえず、歪んだまま成長してしまいます。
そんな自分にようやく気づいて、どうする事もできず、怒りと悔しさが爆発するシーンはとても胸が苦しくなりました。
「知らないことをどうやって知れっていうんだ」というセリフは彼女の境遇の不幸さをよく表しています。
誰も彼女を真正面から愛してくれる人がいなかった、その象徴のような言葉でした。
彼女は父親の亡霊に縋り付き、呪いのような言葉を信じることでしか生きてこれなかませんでした。
そんな慊人に、主人公である透が気付き
当主でも神様でもない、ただの彼女に向って手を差し伸べる場面は本当に素敵です。
またそこからの怒涛の展開は少しも目が離せません。
本当の自分を見つけ、同じ目線で話しかけてくれた透のおかげで、ようやく成長していく慊人の姿は胸に突き刺さります。
病院のベンチで、人を傷つける事しかできなかった自分を「悔しい」と感じ涙を流すシーンは、その最たるものです。
現実の世界に置き換えても、人の優しさに気付けなかった過去の自分とどう向き合うか、というのはその後の自分を決定します。
このシーンは、人の感情に無知だった人間にはとても刺さる言葉の連続で、苦い気持ちになると思います。
また物語の要である、十二支や神様が呪いから解き放たれるシーンも、ただ万々歳といった感じで描かれておらず心に残ります。
終わりと始まり、悲しみと希望が入り混じった、なんとも言えない、この漫画のテーマのようなシーンです。
何も特別でないただの自分を受け入れ、恐怖しかない現実の世界に歩き出す慊人。
生まれてからずっと「神様」である事を約束された彼女にとってそれはどれほどの恐怖だったのでしょう。
それでもただの自分の人生を始める決意をする姿に勇気をもらえます。
彼女の未来は決して明るくはありません。
確執のある母親との関係は最後まで改善されてはいませし、これまでの酷い行いで、草摩の十二支であった人たちとの関係もどうなっていくのか不透明です。
それでも当主をやめず、自分ができる償いの方法を探していく強さを持てるようになったのは、弱い自分を受け入れたからだ、と思います。
そのためには、そんな自分を受け入れてくれる、透のような他人の存在が不可欠なのだと感じます。
それは、この漫画の大切なメッセージの一つだと考えています。
「人間は他人を求めずにはいられない。家族にどんなに愛されても、やっぱり他人に受け入れてほしなるんだよ」
このセリフは透の母親の言葉ですが、まさにその言葉が教訓として胸に響きます。
他人に本当の自分を受け入れてもらった時、初めて自分で自分を認める事が出来きるのではないでしょうか。
強さも優しさも成長も、その受け入れが無ければ始まらない気がします。
「フルーツバスケット」はそんな人の弱さの複雑さと優しさを感じさせてくれる漫画です。