Nemuki+(ネムキプラス) 2016年 1 月号 百鬼夜行抄、111話 最後の一人 感想
※ネタバレ注意です※
今回のお話は、またちょっと難しかったです。
まずは昔、律のおじいちゃん、蝸牛が行った呪術というか、呪道具を使っての呪詛返しのようなものが行われてから、時間が経って律達の時代になって人々から忘れ去られても、この呪道具たちが、まだ働いている、というお話のようでした。
山野井という家は隣の家との争いが過ぎて、宗教や呪の力を借りてしまって、後戻りできなくなってしまい、とうとう飯嶋蝸牛の力を借りた、というのが冒頭に出てくるのですが、この蝸牛が何をしたのかが分からないままお話は進みます。
一方で、律のいとこ、潮が付き合っていた女の人ふたりから訴えられて自宅にいられないということで、母方の実家・つまり律の家にしばらく居候にきます。
この潮がダメ男で女の人に優しいために、物語が入り組んでしまうんですよ!
山野井と敵対する家からは、動物の骨を使った女の形をした使い魔のようなものが送られているようです。
これもきっと、ずいぶん昔、山野井の家とその敵対する家が、まだ人がたくさんいてまだ栄えていた頃に作られたようで、つまり呪詛返しの道具達も使い魔達もかなり古くなっていて、お互いにもう解放されたいと持っているようです。
ちなみにこの呪詛返しの道具は、木の札のようなものだったみたいです。
山野井を守っているこの札達は、律のような、または蝸牛のような見た目をしています。
逆に、使い魔達は若いころの山野井の女性たちの形をしていて、この二者が殺しあっている姿はとても悲しいです、お互いなんでこんなことを続けているのか、もうすぐ終わると思いながら続けているのが、切なく感じました。
以前にもこういう、呪いに使われてしまったら、それを叶えるか術を行った人間が取りやめるかしないと、ずっとその呪いの実行を続けなければならない、という話がありましたね。
同じような境遇なのだと思いますが、誰からも忘れられて、お互い必要とされていないのに戦い続けているという状況は悲しいと思いました。
術をかけたおじいちゃん(蝸牛)自身ももう亡くなり、山野井の家の人も最後の一人になってしまい、その彼女も病院で最後の数日、という状況になっています。
最後のひとり、山野井麗子の最後の時に、ずっと守っていた札が麗子さんの前に現れます。
この札の形が蝸牛のような姿をしていたのは、麗子さんがそっと蝸牛を想っていたということなのかもしれませんね。
麗子さんの最後の時に、一緒にこの戦いから解放された呪いの道具がただの木の板に戻った時に、とても悲しい終わり方だと思いました。
それでも、麗子さんはずっと彼に守られていたから、無事にこの時まで生きてこられたんだとすると、感謝されながらただの木の札に戻ったのは、幸せな終わり方だったのかもしれません。
潮と律は、いくつか紛れ込んだ使い魔を撃退して、今回は終わりました。
潮の女癖の悪さは、本人の優しい気質と優柔不断さから来ているのかもしれませんが、もうすこししっかりしてほしいですね。
飯嶋家の血を引いているおかげで多少見えてしまうせいで、今回のお話はこんがらがってしまった気がします。
潮、もう少ししっかりしろーと思いつつ、今回は終わりました!
次回はどんなお話でしょうか?? とても楽しみです!